院長プロフィール

はり・きゅう・整体
たなうら治療院 院長

松坂 公大

  • はり師、きゅう師
  • 整体師
  • CKワープ臨床研究.界 講師
  • 「手」と「言葉」で伝える治療家

略 歴

  • 平成13年 はり師・きゅう師免許取得
  • 整形外科・リハビリ室 3年間勤務
  • 在宅訪問リハビリ・鍼灸部門 6年間勤務
  • 鍼灸整骨院 2年間勤務
  • 平成19年 こまつ鍼灸院
    小松隆央先生の元で高麗手指鍼を学ぶ

    • 第3期高麗手指鍼学術セミナー修了
    • 第1期小松式複合治療・パーフェクトセミナー修了
  • 平成23年6月 はり・きゅう・整体 たなうら治療院開院
  • 平成27年より 一般社団法人 日本整体協会にて
    • クラニアルテクニック課程修了
    • 内臓テクニック課程修了
    • NST課程課程修了
    • クラニアルテクニックアドバンス課程修了
    • 内臓テクニックアドバンス課程修了
  • 平成28年〜30年 日本整体協会インストラクター、和整体學院 講師として活躍
  • 平成29年6月 三軒茶屋から吉祥寺へ業務拡大のため移転
  • 平成30年からは、CKワープ臨床研究.界 講師として全国で活動中

 

 

松坂公大の今日までの歩み

 

0歳〜16歳

ごく一般的な家庭で、ごく一般的な幼・小・中学校生活を過ごす。

 

 

17歳

大学受験を間近に控えた高校三年生。

幼い頃からスポーツが好きだったので体育大を志望する。
(いま思えばかなり安直な動機)

勉強と運動に明け暮れたつもりになってた秋のある日。
腹痛に襲われトイレへ。

最近どうも腹の調子が悪いなぁ、と思いながら用を足し終え、
ふっと目をやると便器が赤い。

 

まさに『なんじゃ、こりゃ?!!』状態。

 

心の中では「明らかにおかしい感」が渦巻いていたけど、
人間に備わった素晴らしい能力
「見なかったことにしよう」
をフルに発揮し静かにトイレを後にする。

 

しかし、心の声は嘘をつかない。

同じ状態が何度もつづき、さすがにマズいと病院へ。

当時は医学知識はほぼ皆無。

思春期の男子がやたらに詳しい保健の知識では分かるはずもなし。

 

本人の予想は痔。家族の予想も痔。

受診した「ナンデモミマスクリニック」のドクターの診断も痔。

 

小袋に入った整腸剤とオロナイン的な軟膏をもらって帰路につく。

予想は痔と言いながら、なんとなく予感はしてた。

 

「痔じゃない。きっと何かマズい病気なんだろう」って。

 

こういうネガティブな予感は昔から良く当たる。

小袋の粉はむせるだけで、なんちゃって軟膏はびっくりする程効果なし。

 

改めて消化器専門病院を受診する。

ここで初めて大腸内視鏡検査を経験する。

「ケツからカメラ」という刺激的な文句におののきながらも、
「大丈夫。筋トレしてるから」と訳の分からん自信で臨む。

 

的外れな小僧の自信はあっけなく崩壊。

まぁ、痛いの苦しいのって。

「んはぁ〜。ぬぅあ〜」と情けない声出しながら、
検査室のベッドの上をあっちへ回りこっちへ回り。

身も心もヘロヘロになりながら受けた診断は

「潰瘍性大腸炎」

 

「明日お母さんと一緒にもう一度来て」

 

と言ったドクターの言葉が病の深刻さを物語ってた。

このときから長きに渡る潰瘍性大腸炎との闘いがはじまった。

 

19歳

同級生は大学、専門、就職とそれぞれの道へ進んでいくなか、
わたしが進んだのは隣町の総合病院内科入院棟(確か2階)。

高三の秋から冬にかけて、症状は悪化するばかりで、
そんな状態で満足に受験は出来るわけもなく浪人。

 

後で分かったことだけど、
わたしの潰瘍性大腸炎は「慢性持続型・全大腸型」という厄介なタイプで、
通院だけでは症状のコントロールが出来ずに入院することに。

 

入院して白い天井を見上げながら、初めて自分の人生について真剣に考えた。

 

お見舞いに来てくれる友人が、なんだかとっても眩しく見えて、直視できなかった。

来てもらって嬉しい反面、嫉妬も感じてた。
「どうして自分だけが・・・」
生来、明るく前向きな性格だったが、
下を向いて過ごす時間が増えるようになった。

 

退院後、以前に腰や膝のケガでお世話になった鍼の先生を訪ねる。

 

「先生、潰瘍性大腸炎って病気にも鍼は効きますか?」

 

もうこの頃にはステロイド剤なしでは症状を押さえることが出来ず、
ステロイドの副作用も出てきていた。

たいした顔じゃないけど、
19歳のお年頃の男子にムーンフェイスでぱんぱんに腫れた顔は酷ってもんだよ。

 

なんとかステロイドとおさらばしたくて、東洋医学に可能性を求めた。

 

治療をしてもらうと、症状も軽減してからだも軽く楽になる。

 

この先生の元へ治療に通う日が続いた。

 

症状は一進一退だったけど、鍼治療を受けながら、

 

自分も治療をする側になりたい!

 

って気持ちが芽生えてきた。

18歳の夏に決心し、19歳で鍼灸専門学校に入学する。

 

22歳 part1

3年間の在学中、2回ほど死にかけて病院のお世話になる。

 

何枚も同意書を書かされ血液の補充をして、
絶食でも体重が増えるデッカい点滴を流し込んで、
死んだじいちゃんに「まだ来るな!」と追い返されて、
なんとか河のこちら側に戻ってこれた。

先生の理解と支えてくれた仲間のおかげで無事に卒業。

 

念願の鍼灸師となる。

 

同校の卒業生が働く都内の整形外科に非常勤で勤務することに。

体調を考えると、常勤はムリだと思っていたから。

 

病気のことと、
着けてる紙オムツのことは隠して働きだした。

 

働き始めてわずか一ヶ月。

 

非常勤ですらムリだった。

 

頻回に襲ってくる腹痛、それに伴い頻繁にトイレへ。

もう隠し続けることは出来ず、

 

「実は僕、潰瘍性大腸炎なんです」
とカミングアウト。

 

クビを覚悟の告白だったけど、
院長をはじめリハビリ室チーフ、ナース、リハビリスタッフ、
みな暖かい人達で、文句も罵声も一切受けなかった。

 

クビは繋がったけど、こんなカラダじゃ働けない。
スタッフ、患者さんに迷惑をかけるだけ。

日参で通うおじいちゃん、おばあちゃんより顔色の悪い自分。

いったいどっちが患者なんだか分かりゃしない。

 

この時点で、潰瘍性大腸炎を発症して5年目

 

ステロイドの総内服量は何百mgになったんだろうか。

 

手術の決断をすべき時だった。

 

22歳 part2

22歳の夏、職場の皆さんの温情に甘え、休職させてもらうことに。

 

手術を決断する。
潰瘍性大腸炎の手術は大腸全摘出。

 

「潰瘍が出来る場所を全部取っちゃえば症状出ないじゃん!」

超簡単に言うと、きっとこんな理屈なんだと思う。

 

22歳の秋に手術を受け、
自分のからだから大腸という臓器が消えた。

 

「五臓六腑がおれは五臓五腑だな」と皮肉ったりしてみた。

「手術を受ければ、もう健康人と同じくらいに元気マンマン!」

相変わらず考えが甘かった。

 

初めて大腸内視鏡検査をした頃からちっとも進歩がない。

 

手術後2ヶ月は病院のベッドでひたすら唸ってた。

 

通常は二期に分けてやる手術を、
懇願して一期で終わらせてもらった報いだろうか。

お腹がおしりが、痛くていたくて仕方なかった。

 

病院で2ヶ月、退院して自宅待機で3ヶ月。
干支が変わって、ようやく外出できるようになった。

職場を休職させてもらってから半年が過ぎていた。

 

23歳

試練のときを終え復活。

 

大腸は失くしたけど、QOLは格段に上がった。

 

仕事も遊びも、ようやく周りの仲間と同じことが出来るようになった。

この時は本当に嬉しかったなぁ。

 

この5年間を取り戻すかのように、めいっっっぱいに遊んだ。

酒も飲んだ、タバコも吸った、
合コンもした、海も行った、山も行った。

100あるやりたい事の10も出来なかった頃に比べれば、
お腹のデカい傷跡なんて誰に見られても何でもなかった。

むしろ病と闘ってきた勲章だと誇らしくすらあった。

 

遊んでるだけじゃただのおバカさんだ。仕事も精力的にこなした。

鍼灸師としておもいっきり仕事に打ち込めるようになった。

いろんな勉強会・講習会に参加した。

目的は初志貫徹。

 

「潰瘍性大腸炎を改善できる治療家になりたい!」

 

 

27歳

思いが通じたのが、たまたま運が良かったのか。
縁あって高麗手指鍼という未知の治療法があることを知る。

 

調べてみると数ヶ月後にセミナーがあるという。

しかも、開催場所は自宅からチャリで10分の治療院。

 

「これは行けってことだ!」

 

とPCの前で叫んだ。

 

この治療法の効果は凄まじかった。

 

潰瘍性大腸炎で大腸を全摘出しても、同様の症状は起こる。

回腸嚢炎という症状だ。

手術により人工的に「大腸っぽく作った」便を溜める袋に
炎症が起きるとそうなる。

 

わたしが高麗手指鍼のセミナーに参加したとき、
まさにこの回腸嚢炎を発症していた。

 

高麗手指鍼という治療法では、
鍼をさすのは手のひらのみ。

半信半疑で治療を受けてみた。

 

治療後、半疑は吹っ飛んだ。

 

腹痛が楽になる、下血が止まる。

 

なんなんだ、この治療法は。

 

28歳〜31歳

高麗手指鍼の治療効果と、可能性に魅せられ、

 

「この治療法なら、潰瘍性大腸炎を改善できる!」

 

との確信を得た。

高麗手指鍼協会代表の
小松隆央先生に指導を仰ぎながら、
技術の習得、研鑽に努めた。

 

その期間、

 

頸椎ヘルニアや腎炎、腎不全など、
西洋医学では改善の難しい疾患が
高麗手指鍼により改善する例を数多く目の当たりにした。

 

この治療法を武器に独立しよう!

そう決意した。

 

32歳

高麗手指鍼を治療の軸に

世田谷区三軒茶屋に
「はり・きゅう・整体 たなうら治療院」
開院。

 

開院〜移転(2017年6月)

 

潰瘍性大腸炎、クローン病の患者さまに
多くご来院いただき、
改善が叶う方も多数いらした。

 

が、反面、
全く効果の出ない方も、5%程いらした。

理由は様々あれど、
治療を継続されない方も、17%程いらした。

 

潰瘍性大腸炎、クローン病に限らず、
特殊なハリ治療をしていると、
薬や病院の治療では改善の難しい患者さまが
多数来院される。

 

頸椎ヘルニアや脊柱管狭窄症で、
痛みや痺れの取れない方

 

子宮筋腫や卵巣嚢腫、
生理のトラブルやPMS、不妊症でお悩みの方

 

肺気腫や喘息、COPD

 

不整脈や高血圧、心臓疾患

 

肝炎や膵炎、逆流性食道炎

 

腎炎、糖尿病、膀胱炎

 

リウマチ、膠原病、免疫疾患

 

などなど。

様々な疾患、お悩みの方にご来院いただき、
嬉しいお声を頂戴してきた。

 

しかし、残念ながら改善の叶わなかった方、
お力になれなかった方もいる。

 

そんな場面に遭遇するたび

 

どうすれば対応できるか

 

治療効果を高めるために
何をすれば良いか

 

そう思い続けてきた。

 

そんな折、縁あって出会った治療法

 

クラニアルテクニック

 

内臓矯正テクニック

 

NST(エネルギー療法)

 

高麗手指鍼に出会ったときの

衝撃と感動が再び

いや、それ以上かもしれない。

 

これらの治療法を取り入れるようになって
治療効果と治療成績
対応できる疾患、症状はグンと増えた。

 

患者さまにも更なるご支持をいただき
既存の三軒茶屋の店舗では、
広さ、予約枠等限界となり

2017月5月をもって三軒茶屋院を閉院し
武蔵野市吉祥寺へ拡大移転

 

新しい治療法の導入

 

「現状維持は進化の停止」

「日々進化してこそ、技術の向上」

 

その教えを胸に、技術の研鑽に励むなか、

数々の奇跡的なご縁を賜り

新しい治療法の導入に至る。

 

診るべきものは肉体のみにあらず

 

感情、精神、ココロ

 

そこも丸っと整えてこそ

ホントの治療

 

骨格・筋肉は人間の外側

 

内側にある内臓

 

その更に内側にある感情・記憶

 

そして、更に奥の奥に眠る潜在意識

 

難病や難治性の症状改善の鍵は

ほぼ全てここにある。

 

ヒトの意識の9割以上を占める潜在意識

 

ここにアプローチをすることで

症状が変わる、

思考が変わる、

 

結果

 

生活が人生が大きく変わる。

 

 

大げさでも何でもなく

人生に光が当たって幸せな方へ動き出す。

 

 

たなうら治療院は痛みや症状を取る治療院にあらず。

 

 

今ある苦痛

 

お悩みの症状

 

その原因と意味

 

それを明らかにすること。

 

他の誰でもないあなたの人生

患者さまご自身の人生を

自分の意志で幸せに歩んでいけるように

お手伝いをすること。

 

 

これが当たなうら治療院の理念であり使命です。