たなうらブログ ~令和の時代に、ご唱和ください~
シンパシーとエンパシー
院長松坂です。
先日患者さんに面白いお話を聞きました。
シンパシーとエンパシー
この違いについて。
海外で現地の学校に通っている方なのですが、
そこでの授業でこの両者の違いについて、
例えばなしを使った講義があったそうです。
そのお話を伺って、改めて考えてみました。
・シンパシー(sympathy):同情、思いやり、共感
・エンパシー(empathy):共感、感情移入
「共感」というところでは、
どちらも同じ意味のような気がします。
そこで引き続きググってみると、
こんな説明を見つけました。
「シンパシー」は相手を哀れに思うようなニュアンスが強いですが、そのベースには「共感」「共鳴」の気持ちが多く含まれているのが特徴です。相手の状況や考えを理解し「思いやり」を持って放たれる言葉となります。
「エンパシー」も「シンパシー」と同様に「共感」「共鳴」「人の気持ちを理解する」という意味がありますが、明らかに異なる点は、相手を気の毒に思う「同情」というニュアンスが「エンパシー」にはあまり含まれていないことです。
ふむふむ、なるほど。
では、我々治療家が、
臨床の場で必要なのはどっちだろう?
「いい先生」
という表現があります。
・腕のいい先生
・感じのいい先生
・どうでもいい先生(笑)
三段落ちですwww
冗談はさておき、
何をもって「いい」とするかは人それぞれでしょうが、当院が考える「いい先生」「いい治療」とは、
・人生をより良い方向へ導く先生・治療
です。
そのために必要なこと
それは、
今からだに起きている症状(病気)の意味を見つめる
ことです。
先述した説明だと、
相手を思いやるシンパシーの方が適切のような気もします。
しかし、調べていくと、こんな説明がありました。
「シンパシー」は「共感」「共鳴」「同情」という意味のある言葉ですが、日本ではほぼ「相手の気持ちがわかる、理解できる」という意味を持つ「共感」や「理解」での解釈で使われています。
しかし、英語圏では「同情」や「気の毒に思う」という意味合いが強いため、国際環境においては「シンパシー」を使い過ぎると「同情なんてしなくてもいいのに…」と勘違いをされてしまうことがあります。
「同情」「思いやり」という言葉は、
聞こえの良い言葉ではありますが、
その思いだけでは
人生をより良い方向へ導く
ことはできません。
それだけでは「いい先生」とは呼べない。
同情、思いを寄せること、
これは相手と同じ位置に立って行うこと。
同じ位置、同じ次元で考えていても、
より良い方向へは進みません。
より良い方向に進むためには、
今の位置から[1段、2段、3段、、、]
と高い位置に登る必要があります。
同じ位置、同じ階層でグルグル回っているから、
苦しい症状が変わらない。
その意味を見よう、知ろうとしないから、
何度も再発を繰り返す。
今いる位置から上がることによって、
初めて見える景色があります。
1階から外を見たらただの壁、
2階から見てもただの壁、
でも、3階まで登ってみたら、
それは綺麗な山の稜線だった。
どこから見るかで、見える景色の意味が変わります。
まずは患者さんと同じ高さで思いを寄せる、
そして、そこには留まらず、
1つ上に上がれる道を探す。
治療家がするのは、あくまでお手伝いです。
「1つ上に上がる」のは患者さん自身の一歩です。
一緒に道を探し、道を見つけ、
背中をポン!と押すお手伝いをする。
これが治療家の在り方だと思っています。
では、話の冒頭に戻って、
シンパシーとエンパシー、どちらが適切か。
結論!
どっちも必要
でもそれだけじゃダメ!!(笑)
そんな風に思うのです。